長い間書けなかった、杏の最後。
かなりの長文です。
またひどい表現もあるので、苦手な方は読み逃してくださいね。
12月29日
尿素窒素を体外に排出させる治療をするために
朝一番で杏を病院に預けた。
点滴で体に水分を入れ、沢山おしっこを出さす。
それで尿素窒素を体外に排出。
上手くいく事を願いながら、仕事に向かった。
仕事は全く手につかなかった。
仕事から帰って、様子を聞く為に病院に電話をすると
思ってもいなかった事を先生から言われた。
浮腫み・腹水が酷くて、思うほどの水分を入れれない。
一時間に20ccの予定が、10ccがやっと。
今はそれさえもきつくて、5ccにした。
おしっこはしてるけど、状態は改善されない。
昼に、何度か危険な状態になっている。
だけど、夜に帰ってくるお父さんに何としてでも会わせてあげたいから
必死の治療をしている。そして、先生が言った。
つらくて見てられない。って。
そんなこと言う先生じゃないのに、先生にそうまで言わせてしまうほど
杏の状態は悪いんだって、わかった。
慌てて病院に向かう。
そして、見せられた血液検査の結果。
正常な数値がなかった。
ほとんどが異常だった。
杏の内臓は悲鳴をあげるどころか、もうぼろぼろだった。
ゲージの中の杏。
輸血の時は誰かが近づくと顔を上げたけど、今日はピクリとも動かないらしい。
もう動けないんだろう。
そして先生からは
尿素窒素は神経を刺激するから、この先もっと酷く体を痙攣させるだろう事
旦那が大阪にいる間(戻りは1月2日の飛行機)には
多分息を引き取るであろう事
もしかしたら、今夜の旦那の帰宅にさえ間に合わないかもって事
耳を塞ぎたくなる様な事を言われた。
だけど、これが現実。
「とにかくお父さんに会わせてあげたい。
そのためにぎりぎりまで治療したいから、20時頃に迎えに来れるか?」頷くしかなかった。
預けている間に何かあったら
そんな思いが頭を掠めたけど、先生を信じるしかない。
杏の生命力にかけた。
そして、杏に会わずに診察室を出た。
杏が「連れて帰ってもらえる。」と思うとかわいそうだから
会わない事にした。
診察室から出る時、先生は
「何としてでも生きて病院から出してあげたいからな。」そう言った。
息子が出掛けていて、夕食がいらなかったから
病院を出て、娘とご飯を食べに出掛けた。
病院には娘もついて来ていて、先生の話を聞いていたから
努めて明るい話をしようとしたけど
今になっては、何を食べたのかも覚えていない。
油断すると零れそうな涙を堪えるのに、必死だった。
数日前の血液検査の結果は、こんなにステロイドを使っているにもかかわらず
内臓の数値は、びっくりするくらい正常で。
だから、二度目のパルス療法をする事を選んだ。
あの時はもうそれしか、方法がなかったから。
だけど、今回のパルスのステロイドが杏の体を急変させたんじゃないか。
その思いが頭の中いっぱいで、思わず娘に
「母さんがパルスなんか選んだから、こんな事になってしまった。
母さんが杏を殺したようなもんや。」そう言うと、娘は
「だけど、せーへんかったら杏は今日父さんに会えてなかったで。
だから、母さんは間違ってないって。」そう言った。
子供だと思ってたのに、こんなに一丁前な事を言うようになってんな。
多分この三ヶ月、娘もきっといろんな事を学んだと思う。
その一つが、この台詞。
杏は自分の身体をもって、私たち家族にいろんな事を教えてくれた。
早く、その杏に会いたかった。
20時前、再度病院へ。
診察室で待っていると、奥から杏が連れられて来た。
夕方先生から聞いた事が信じられないくらい、杏はふつーに見えた。
私と娘の顔を見て、一瞬笑った気がした。
だけど、手は浮腫れてパンパンだった。
「朝と比べて、様子はどうや?」「見た感じは、変わらないです。」「そうか、もし明日も治療をしようと思うなら連れておいで。
出来る事を考えよう。」もう出来る事なんてないです。
その言葉は飲み込んだ。
そして先生は、私を案じて
「多分これからは、見るのが辛いような事が沢山起こる。
もしどうしても辛くて見ていられへんようになったら、連れておいで。」そう言ってくれた。
うんん、先生。
いままででも、十分辛くて何度も目を逸らしたい事が何回もあった。
だけど、その思いを何とか拭って今日までやって来た。
もうこれ以上はないって思ってる。
もしもしそうだったとしても、逃げない。
私が、家族が、ずーっと傍に居る。
心の中で、先生に返事をした。
家に連れて帰って、いつもの布団に寝かせた。
朝ご飯を食べなかったから、もしかしてお腹が空いているかもと
ご飯を用意してみたけど、やっぱり食べなかった。
のども渇いてるかと思って、お水を飲むように言ったけど
もちろん立ち上がる訳もなく、口の脇から少しずつ流し込んであげても
それが喉を通る事はなかった。
朝より具合が悪い事を実感せざるをえなかった。
旦那が帰宅する時は、モノレールの終点駅まで迎えに行く。
だけど、とても杏の傍を離れる事はできなくて
旦那には、最寄り駅へ迎えに行く事で了承してもらった。
「疲れたやろ?父さん帰ってくるまでちょっと寝とき。」そう言っても杏の目は、かっと開いたまま。
早く帰ってきて!
心の中で、ずっと叫んでいた。
21時半、
「もうすぐ着く。」ようやくのメール。
慌てて駅へ向かったけど、なかなか旦那は来ない。
電車を降りた旦那は走って車までやってきて、慌てて車に乗り込んだ。
その時、携帯が鳴った。
「杏が目を閉じるねん。早く帰ってきて。」家で一人杏を看ていた娘が、泣きながら電話をかけてきた。
「今出たからっ!声、掛けてあげてっ!」家へ急いだ。
家の前に車を停めて、とにかく旦那に家に入ってもらう。
車を駐車してから家に入ると、杏の目が私を見つめた。
間に合った。
とにかくほっとした。
23時、出掛けていた息子も
玄関を開けるなり、走って階段を駆け上がって帰ってきた。
杏と息子は、毎日会っているとは言え
息子の顔を見る事もでき、私はまた安心した。
何か食べて欲しい。
そう思ってダイスキな食パンを口に持っていくけど
口は開くこともない。
旦那が蜂蜜を買ってきてくれた。
鼻に塗ってやると、ペロっと舐めた。
これならいける!
そう思ったけど、舐めたのは最初に塗った分だけ。
杏の舌は動かなかった。
これが、杏の最後の食べ物だった。
旦那・息子・娘・李・私で、寝ている杏を囲んでいたけど
このままこうしていても仕方ないし
暗くして杏を少し休ませてあげたかったから
何かあったら起こすと約束して、皆には寝てもらう事にした。
杏を寝かせる前にはいつもおしっこに連れて行くから
今日も連れて出ると、もう自分では立てないけど
支えられながら、きちんと自分でおしっこもウンチもした。
もしかしたら、大丈夫?!
そんな風に思った瞬間だった。
いつものように杏の隣に布団を敷いて、横になった。
杏の手を握ると、やっぱりいつものようにそれを拒否された。
「あんちゃん、いいやん。今日は繋がせといて。」そう言うと、杏が手を振りほどく事はなくなった。
杏を撫でながら、いろんな話をした。
やっぱり今となっては、何を話したか覚えてないけど。
だけど、不思議と涙は出なかった。
うんん、話を止めてしまうと泣いてしまうから。
だから、時々水を含ませ、体の向きを変え、杏に話しかけ続けた。
2時、怖いくらいにぶるぶると震えていた痙攣が
この頃から時々数分、止まるようになった。
それは多分あまり良くないんだろうと、なんとなく思った。
知らない間に一時間ほど眠ってしまってた。
慌てて杏を見ると、ぼーっと何かを見ていた。
うんん、何かを見ていたんじゃなく
もうただ開いているだけだったのかもしれない。
私が動くと私を追っていた視線が、もう動かなくなっていたから。
さっきみたいに、体からお尻のほうに向かって撫でてやると
お尻が濡れている。
布団をめくってみると、おしっことウンチが大量に出ていた。
ウンチと言っても形なんてなく、泥状の液体。
急いで汚れたシーツをはずし、腰からお尻を塗れタオルで拭いてあげた。
だけど泥状のウンチは、止まる事なくだらだらと出続けた。
もう肛門を閉じておく力もないんだろう。
人は死ぬと、いろんなところから体液が出ると聞いた事があった。
杏はまだ死んではいないけど、もうその状態に近いって事?
少しでも気持ち悪い思いをさせたくなかったから
まめにシートを換えて、お尻を拭いていた。
もう本当に長くはないと思った。
5時半、旦那を起こす。
7時、娘が起きてきた。
8時、そろそろ息子を起こそうと、娘に起こしに行ってもらったその時
杏の体が大きくゆっくり痙攣し、目はいっそう見開いた。
口からは青くなった舌が力なく出ていた。
「ひぃちゃんっ!はやくっ!」杏の手を握りながら、叫んだ。
慌てて息子と娘が降りてきて、杏の傍に座った。
「杏!」「杏!」皆がそう叫んでた。
杏はやっぱり目を見開いたまま、のけぞるような動きを10回ほどして
動かなくなった。
この時の杏の目、今も頭から離れない。
杏からの最後のメッセージ。
「助けて。」だった?
「死にたくない。」だった?
動かなくなったけど、杏は暖かいままだった。
皆が泣いていた。
どれくらい経っただろう、こうしていてもどうしようもないから
「ご飯、作るわ。」そう言って私は杏の傍を離れた。
ご飯を作っていても、涙が止まる事はなかった。
旦那と子供達は言葉もなく、ダイニングテーブルは静かだった。
もちろん私は食事なんて気にはなれず、杏の傍にいた。
言葉はないにしても、こんな時にご飯を食べれる旦那と子供の神経が
少し信じられなかった。
死後硬直は、すぐに始まった。
だけど、体のぬくもりは変わらない。
暖かいまま。
暖かいのに。
暖かいのに、なんでだろ?
私は出続けるウンチを、ただただ泣きながら拭くだけ。
家族の前でこんなに泣いたの、多分初めて。
少しだって堪える事なんてできなかった。
その後の事は、覚えてない。
どうやってその日(12月30日)を終えたのか。
31日の朝は、どうやって迎えたのか。
次に思い出すのは、杏が上っていった空が
真っ青だったって事。
そして思い出す。
一番つらかったのは杏が死んだ時じゃなく、火葬釜の扉が閉まった時。
杏の命じゃなくて、体がなくなってしまう時。
杏の肉体がなくなる。
本当に杏が居なくなる。
杏自身が見えなくなる事が、何よりも悲しかった。
やっぱり今も思う。
どんな形でも、病状が改善されなくても、例え寝たきりでも
もっと一緒に居たかったな。
ふふ、四ヶ月も経つのに、相変わらず諦め悪いな。w
今まで杏の病気の事を書いてきたのは
不幸にも同じ病気になってしまったワンちゃんと飼い主さんの
少しでも役に立てたら、と思ったから。
だから、きちんと最後まで書かないと意味がない。
杏の最後が、もしかしたら何かのヒントになるかもしれないんだから。
四ヶ月も時間がかかったけど、ようやく全てを終わらせる事が出来ました。
そして私は、やっぱりこの病気のワンちゃんと飼い主さんの役に立ちたいと
次の事を始めようと考えています。
どれだけ時間がかかるかわからないけど
思ったようなモノになるのかも、まだわからないけど
今はそれに向かって進んで行きたいと思っています。
まだまだ泣いています。w
だけど、こんなに前向きになれました。
杏もきっと、喜んでる。
ねっ、あんちゃん ♪
母さん、がんばるよ。
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